前回の記事で、文章を読むのが苦手な人は、まず、「音読」をするべきだ、という話を書きました。
声に出して読むことで、「口」や「耳」を、「読むという行為」に動員することができます。
それによって、「文字列」を追う目の働きと、その「意味」を把握する脳の働きが「連動」しやすくなるのです。
「音読」は非常に理にかなった勉強方法ですが、そんな地味な訓練よりも、文章を読む「技術」に目を奪われる人も少なくありません。文章を読むのが苦手な人ほど、「速く読むこと」を志向します。
しかしながら、多くの人が「誤解」をしていることですが、速く読むことは、「常に良いこと」というわけではありません。
たしかに、速く読むことの「メリット」はあります。
反面、そのために大きな「代償」を払わなければならなくなるのです。
人は、速く読むほどに「深い理解」を得られなくなります。
難しい内容の文章を読むときに、普通は、慎重に読みます。
たとえば、「専門書」や「論文」などを読むときに、ときに1000字程度書かれた1ページを読むのに1時間くらいかかることがあります。
「専門書」や「論文」は、内容を正確に理解しなければならないので、読むのを中断して頭の中で内容を整理したり、自分自身に問いかけてみたりしなければならないことがあります。
メモを取るときもあります。
それで、なかなか読み進めることができずに、時間がかかってしまいます。
ときには、注釈や資料、別の文献などを参照して、内容を確認しながら読まなければ理解できないこともあります。そのため、さらに十分な時間をかけて読むこともあります。
自分の専門外の「専門書」を読むときには、よりいっそう時間がかかるものです。
読み終えても理解できないときには、「解説書」などを読んで理解を深めようとしたり、誰かに訊いて説明してもらったり、助言してもらったりすることもあります。
ですから、たった1ページを、厳密な意味で「読み終える」のに、数日、あるいは数か月かかることもあります。
そのような文章の読み方を「苦痛」としか考えられない人も多くいると思いますが、それが、この上なく豊かな経験なのだと知ることができれば、人生が変わります。
逆に、新聞などは割とすぐに読むことができます。内容によっては、1000字程度の文量を20秒かからないで読めます。
新聞記事は、文体や修辞、構成などが標準化されているので、読みながら「次に書かれている内容」を推測しながら読むことができます。
特に、背景や状況を熟知している内容の記事は、「読む」というより「眺める」感じの読み方になります。その場合は、「新しい情報」や「未知の情報」、「より詳しい有用な情報」が書かれていないかを確認できればいいわけです。
同じように、本の場合も、内容によっては眺めるように読むことがあります。
中身の浅薄な本をじっくり読むのは、ほとんど拷問といってよいほどの苦痛です。
「速く読むこと」は、「理解」よりも「効率」を優先した読み方です。
「速く読みたい」のは、文章の「内容」を重視していないからです。
「自分は文章を読むのが遅い」と感じている人にとっては、「速読」というものは大変に魅力的な技術に思えます。
まして、「試験」を強く意識したときには、文章を読むのに時間がかかる人ほど、「速読」にすがりたくなるはずです。
その点も含めて、すこし考え方を変える必要があると思います。
結論からいえば、文章を読むのに時間がかかるのは、「スピードの問題」ではないのです。
文章を読むのに時間がかかるのは、「文章を理解する能力」が未熟だからです。
ですから、速く読もうとする前に、「文章を理解する能力」を鍛えなければならないのです。
もちろん、スピードは大事です。しかし、スピードを研ぎ澄ます前に、しっかりとした「土台」が必要です。
堅牢な学力は、「文章を理解する能力」を身につけた上で、試験問題を解きながら、「工夫」を重ねて、「速く問題を解く方法」を模索する中で養われていきます。
「文章を理解する能力」を鍛えるために必要な「実践」が2つあります。
ひとつは、「文字列」から「意味」を抽出して把握するための「脳の機能」を強化し、向上させていくことです。
その最も有効な訓練法は「音読」です。
それから、たくさんの本を黙読で「じっくり読む」ことも重要です。「じっくり読む」経験をたくさん積むことで、速く読めるようになるのです。
もうひとつは、「語彙力」を増強することです。
言葉を知っていなければ、文章は読めません。
言葉をおろそかにする人は、いつまでたっても文章を読めるようにはなりません。「漢字テスト」や「単語テスト」をあなどっている人は、一切の例外なく文章を読むのが苦手です。「語句プリント」もそうです。
「文章を理解する能力」が未熟な人は、「速読」に手を出すべきではありません。
聞くところによると、「速読」には様々なやり方があるそうです。
しかし、どれも結局、「文字情報」を断片的にすくい取って、それを推測や憶測でつなぎ合わせるようなことをやっているわけです。
はっきりいいますが、そんなものは「まやかし」です。
正しく文意をつかむことができない、つかもうとしない「いいかげんな習慣」が身についてしまったら、一生を左右する過誤となり得ます。
まず、「音読」をしましょう。
それから、漢字練習、単語練習。
そして、語句プリント。
(ivy 松村)