2月になると、ある和歌を何度もつぶやいてしまいます。
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
(夏の日に)袖をぬらすようにして両手ですくえた水が
(冬の間に)氷ってしまっているのを
春のおとずれの(立春の)今日の風が
(今まさに)とかしているのだろうか
紀貫之の代表作です。
歌に詠みこまれた夏→冬という季節の移ろいを、どうしても夏期講習・冬期講習になぞらえてしまいます。
そして、「氷をとかす春の風」というのは、私たちにとって、やはり特別な「隠喩」であると感じずにはいられません。
何度つぶやいたとしても、その度に、この歌のもつ「力」に感じ入ってしまいます。
貫之は、視覚や聴覚によってではなく、「想像力」によって「春のおとずれ」を知覚しています。
「風やとくらむ」の「らむ」は現在推量の助動詞です。
「今ごろ~しているのだろう」と訳されますが、自分から遠くは離れた場所にいる人や、遠く離れた場所で起こっている出来事について、思いや考えを巡らせるときに使われる表現です。
「風やとくらむ」・・・今ごろ風が(氷った水を)とかしているのだろうか。
「想像力」を喚起された私は、ある情景に思いをはせます。
いや、むしろ、ある情景が思い浮かんでしまうからこそ、この歌をつぶやいてしまうのかもしれません。
・・・生徒たちは、今まさに、入試問題を「といている」のだろうか。
24日は、都立高校の入試ですね。
25日に、国公立大学の二次試験がはじまります。
がんばってください。
「そのとき」に、きっと私は、この歌をつぶやいているはずです。
(ivy 松村)