人気のある大学生のアルバイトのひとつに、「学習塾の講師」があります。
インターネット上には数多くの募集サイトがあります。
中には、自塾のホームページで講師を募集している、なかなか豪胆な塾もあります。
学習塾の講師は、他のアルバイトに比べて時給が高く、「割のいい」アルバイトであると考えられているようです。
しかし、最近、話題になっている「ブラックバイト」の代表的なものとして、塾の講師があげられているという話を聞きました。
「ブラックバイト」というのは、違法性のある不当な労働を強いられるようなアルバイトのことを指すのだそうです。
「ブラック」という「ワード」を否定的な文脈に用いることには、私は抵抗があります。
グローバルな視点を持たない、閉鎖的な言語感覚だと感じてしまう部分もあります。
しかし、1つの問題提起として、この言葉が注目されることには意味があると思います。
2005年に、全国学習塾協会がおこなった「学習塾の雇用管理に関するアンケート調査」によれば、「非正社員講師比率」は平均で56.9パーセントとなっています。つまり、この調査によれば、学習指導をする塾講師の半数以上が「アルバイト」であるということになります。
また、従業員数が多くなるほど、「非正規社員講師比率」が高くなるという調査結果が出ています。したがって、規模の大きな、つまり広域にチェーン展開している塾の講師ほど、アルバイトが多い、ということになります。
従業員数が10人以上の塾は、およそ7割がアルバイトです。
この調査は10年前のものですが、現在はさらにアルバイト講師の割合が高くなっているはずです。「非正規社員講師比率」の低い個人塾が減少し、「フランチャイズ」の個別指導塾や、チェーン展開が活発な、最小限の社員講師による運営の、「コンビニ型」の塾が増えているからです。
これらは、大学生アルバイト講師に依存するビジネスモデルとなっています。
「学習塾」は、人件費が支出の大部分を占める労働集約型のサービス産業です。
同時に、「労働力」の調整が求められるビジネス形態です。
年度によって生徒数の増減があり、また、季節講習などがあるため、必要な人員が時期によって大きく変動します。ゆえに、そもそも、アルバイトを使って雇用調整を行う経営へと収束しやすいという側面があります。
しかし、大手学習塾企業は、常時アルバイトを雇っています。
つまり、年中「人手不足」が生じているということになります。
塾企業がアルバイトを起用するのは、「正社員」が足りないためではありません。
学習塾経営者は、慢性的な「人手不足」の解消を望んではいないのです。
学習塾という業態には、廃棄・ロスがほとんどありません。また、ランニングコストとなる家賃光熱費なども大きく増減しません。
固定費の変動が少ないため、損益分岐点を超えた売り上げは、ほぼ利益に近くなります。
したがって、人件費の圧縮が、利潤に直結するという構造を持っています。
「教育」と「営利」のバランスは、学習塾経営の永遠のテーマであるといえますが、凡庸な学習塾企業の経営者は、人件費抑制の「誘惑」に抗えないのです。
そのため、
①安い給料でアルバイトに授業をもたせる
②正規従業員の業務量を増やす
③正規従業員の給料を抑制する
という3点が、経営者にとって、雇用の基本政策となるのです。
いずれもサービスの質を下げる愚策ですが、広告宣伝を強化することで、あたかも高水準の授業を提供しているように装い、「ビジネス」を堅持するのです。
学習塾企業は、そもそも「ブラック」に陥りやすい構造を抱えています。
会社が、どれほど多くの利益を得ようとも、それを「労働条件」に反映するのは、経営者にとって「最後の砦」となってしまうのです。
ところで、学習塾は、その事業形態から分類すると、大きく3つに分けられます。
ひとつは、企業経営の学習塾です。
一方で、個人経営の学習塾もあります。
そして、「フランチャイズ」の学習塾があります。
その中で、「ブラックバイト」の問題が大きく関わっているのは、「フランチャイズ塾」のようです。
「フランチャイズ塾」は、70年代の初頭から現れはじめました。
小売や外食産業の経営モデルが、教育産業に導入されたのです。
2000年代中盤から、フランチャイズ展開をする塾が急増しています。
「フランチャイズ塾」とは、「オーナー」となる個人が「本部」と契約して、有名学習塾の「看板」を掲げて塾を経営する事業形態です。
たとえば、Aさんという人がB塾という「フランチャイズ塾」の「オーナー」になれば、B塾の教室を設置することができるのです。
AさんはB塾の社員ではありません。自分の教室を運営する「個人事業主」です。
立場としては、個人で商売をしているお店の人と同じです。
ただし、B塾との契約にもとづいて、教室を運営しなければなりません。
「オーナー」となったAさんは、B塾の「名前の使用料」である「ロイヤリティ」をB塾の「本部」に支払います。多くの場合、売上の何割かを供出する契約になっています。その他、宣伝や教材管理等の業務を「本部」を通して行い、その費用等を支払う契約も結ばされます。
早い話、さまざまな名目で「本部」にお金を徴収される仕組みになっているのです。
売上のほとんどを「ロイヤリティ」として持っていかれてしまうので、「フランチャイズ塾」の経営は大変です。
実は、有名「個別指導塾」のほとんどが、「フランチャイズ塾」です。
近年では、駅前ではなく、幹線道路沿いの「ロードサイド」で営業する「フランチャイズ塾」が目立ちます。
豊田駅周辺から、旭が丘、多摩平あたりの範囲で、思い当たるだけで10教室ほどの「フランチャイズ塾」が存在します。
塾業界は、少子化もあって、競争が激化しています。
しかし、塾の数は減っていません。それは、こうした「フランチャイズ塾」が勢力を伸ばしているからです。
近年、サービス産業の一部に、構造的な変化がみられるようになりました。
消費者に直接「商品」や「サービス」を販売するのではなく、事業者に「ノウハウ」を卸して、利益を上げるビジネスモデルへの転換です。
学習塾企業の場合、直営の教室運営によって利益を上げるのではなく、「フランチャイズ・オーナー」からの「ロイヤリティ」を収益の柱にするような会社が増加しました。
少し考えればわかりますが、資本力と「ノウハウ」のある企業が、自ら教室展開をするのではなく、着実に「ロイヤリティ」収入を確保する営業形態へとシフトしているのですから、今、学習塾は「厳しい」のです。
にもかかわらず、「オーナー」として、塾経営に参入しようとする人が非常に多いということですね。
たくさんの「フランチャイズ塾」がありますが、新しく「オーナー」になる人のほとんどが、「未経験者」です。つまり、素人です。
塾業界で「修業」を積んだ人間であれば、ひとかどの理想や方法論を持っているはずです。
ですから、「独立」するときに「フランチャイズ」を選ぶはずがないのです。
「フランチャイズ塾」は、「本部」の意向や指示に拘束されてしまうからです。
「ノウハウ」を持っていない人が、「フランチャイズ」を選ぶのです。
「フランチャイズ塾」には、学習塾事業の特徴が色濃くあらわれていると思います。
学習塾は、多くの人にとって「ビジネスチャンス」に映ります。
新規参入が非常に容易だからです。
認可や資格・免許を必要としないので、「誰でも」事業を立ち上げることができるのです。
そして、多くの人が、自分は「経験者」であるという「錯覚」を持っているために、塾業界で「修業」することなく、「オーナー」になってしまうのです。
その「錯覚」とは、「通塾の経験」です。
かつて塾で勉強し、受験をした「経験」があるので、自分には十分な「知識」があると勘違いしてしまうのです。
しかし、実際には、「教わること」と「教えること」には、海と山ほどの違いがあります。
この「錯覚」は、多くの大学生アルバイトも所有しています。
さらに、勘違いの激しい大学生は、自分は良い「兄貴分」や「お姉さん」になれると思い込んでいて、生徒になれなれしく接したり、「ぶっちゃけた」態度を取ったりします。
ドラマやマンガなどの影響なのかもしれませんが、「型にはまらない」「等身大の自分」を見せれば、人気者になれるという幻想を抱いているのです。
このような夢見がちな軽い気持ちで「割のいい」アルバイトを始めたら、実は「ブラックバイト」だった、ということもよくあることなのでしょう。
(念のために記しますが、優れた教務技術を持っている大学生講師もたくさん活躍しています。)
無責任で薄情な大学生は早々にやめてしまうのでしょうが、真面目で有望な人ほど絡め囚われてしまうのだと思います。
さて、「フランチャイズ」の「個別指導塾」のアルバイトの時給は、平均してだいたい1300円~1600円ぐらいだと思います。(さすがに集団塾や予備校はもっと高額です。)もちろん、額だけ見れば、コンビニやファストフード店よりもよい時給です。
しかも、自分は「経験者」なのでうまくやれるはずだし、生徒に慕われて気分よくなれる、という魅力的なアルバイトに思えます。
まあ、うまくやれるかどうかはその人次第ですが、実際には「割がいい」どころか、悲惨なアルバイトを強いられている人もいるようです。
「フランチャイズ塾」の「オーナー」のほとんどは、もともと教育業界にいたわけではありません。
学習塾は「事業」の選択肢のひとつであるという考えの強い人も多いのだろうと思います。
「教育」よりも「営利」へとバランスが傾いている「オーナー」は、利益のために人件費を圧縮しようと考えるでしょう。
もちろん、経営者としても、教育者としても優れている「フランチャイズ・オーナー」の方も数多くいらっしゃるに違いありません。そういった方々には、ぜひ事業を拡大して、良い塾を増やしていっていただきたいと思います。
私の問題意識の根底にあるのは、塾業界があまりにも「自由」であるということです。
業界団体の取決めは「紳士協定」の域を出ず、拘束力を持ちません。
私は、業界に「規制」が必要だと思っています。
いまや、行政が学習塾を「認める」時期にきているのではないかと思うのです。
今回は、「ブラックバイト」という話題から、塾業界の体質や「アルバイト講師」について考えてきました。
「アルバイト講師」に関しては、私は思うところがあります。
私は、塾の教師という職業は「職人的世界」に属するものだと思っています。
「職人」とは、納得のいく仕事に価値を見出し、それを追求する存在です。
時間単位の「労働」と同じ地平で語られるべきものではない、という思いがあるのです。
「塾講師」を募る際に「時給で釣る」のはやめたほうがいいと思っています。
それが不幸の大元になっているような気がします。
私たちの仕事の魅力は、(あえて抽象的ないい方をしますが)「やりがい」にしかないのですから。
大学の「教育研究会」のようなサークルが、ほぼボランティアのような塾を運営していたりします。(決してボランティアを要請しているわけではありません。)
私がいいたいのは、その事実は、「割のいいバイト」を装わなくても、塾の仕事に魅力を感じてくれる人は必ずいるのだ、ということです。
そういう人たちに、納得のいただける誠実な給料をお支払いして、いっしょに仕事がしたいと思うのです。
時間当たりの「労働」を要請されれば、その時間をなるべく楽に、効率的にこなそうという考えへと行き着いてしまうでしょう。
それはまったく自然な発想です。
ですから、授業の予習もせず、ただ答えを読み上げ、行き当たりばったりの解説に終始するような授業を行うアルバイト講師が増えるのも当然のことです。
彼らに対して、苦虫をかみつぶすような感情が沸き上がりますが、その行動は「正解」です。
「予習」には1円も発生しないのですから、そこに時間をかけるのは無駄な徒労でしかありません。
彼らのその行動を誘引しているのは、学習塾側です。
過去に、未熟なアルバイト講師だったころに、私立中受験のクラスの社会を担当することになりました。
そのクラスは、偏差値30台の生徒と、トップレベルの進学校を志望する生徒が混在するクラスでした。
小さな教室で、生徒数も多くなかったので、クラス分けもされず、彼らを同時に指導しなければなりませんでした。
指導力が貧しかっただけでなく、教科や受験の知識も欠いていた私の授業は、すぐに破綻しました。
それから1年半、授業の準備に、毎週平均8時間を費やしました。
どうやって授業を成り立たせるのか、思案し、解説の手順や内容をほぼ原稿に近い形にまとめ、テキストを全て文字データに起こし、それをもとに作った授業プリントを使って授業を行いました。
時給に換算すると・・・やめておきましょう。あれは、「労働」ではなかったのです。
偏差値30台だった生徒が、社会の偏差値を20ポイント以上も上げてくれました。
社会が好きになった、といわれて、報われた思いがしました。
今、やれといわれても、もちろん無理です。あのときでなければできなかったことです。
同じことを誰かに強要するつもりもありません。
ただ、あの経験が、今の私の血肉となっているのです。
(ivy 松村)