先週の中1の国語の授業で川端裕人氏の「川の名前」を読みました。問題に取り上げられていたのは、主人公と友人が夢について語り合う場面でした。マンガ家になりたいという主人公に、友人が自分は宇宙飛行士になりたいのだと打ち明けます。彼は「難しいからこそやってみたいんだ」と話すのです。
授業の中で、生徒たちに「夢」をきいてみました。生徒たちは、それぞれの「夢」を教えてくれました。なかなか頼もしい「夢」です。ぜひとも、その希望を叶える手助けをしていきたいと思います。
ところで、「夢」とは何でしょう?
広辞苑を引いてみました。
①睡眠中に持つ幻覚。
②空想的な願望。
③将来実現したい願い。理想。
元来、日本語の「夢」には②③の意味はありませんでした。明治以降、①の意味を持つ英語の単語、「dream」に対応する訳語として「夢」が使われるようになります。その「dream」には②③の意味があったため、「夢」という言葉に②➂の意味が付加されたのです。
歴史上最も有名な「夢」は、キング牧師の「夢」でしょう。中学校で「NEW CROWN」を英語の教科書として使っている日野市の中3の生徒は、72ページを開いてみましょう。キング牧師の感動的なスピーチに触れることができます。
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today.
I have a dream that one day… little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream today.
差別がなくなる日が訪れることを、彼は「夢」(dream)として語ったのです。
アメリカ人やイギリス人が語る「夢」(dream)は、日本人が「夢」として語るものとは少し違います。
家族が幸せに過ごすことであったり、世界に何らかの貢献をすることであったり、あるいは、望みの物を手に入れることであったりします。それは、社会や人生における理想の表明です。
一方、日本人にとっての「夢」は、多くの場合将来就きたい職業です。
私には「夢」にまつわる、ある体験があります。
私が小学校1年生の頃のことです。
私の小学校で、ある企画がスタートしました。それは、月の始めの週に、その月に誕生日を迎える生徒が同学年の児童の前に出て、おめでとうと声をかけてもらった後に、「将来の夢」を発表するというものでした。
第一回が私の誕生月でした。
小学1年生の私は、何を発表しようか悩みました。
先生に相談したところ、「なりたいもの」を言えばいいとアドバイスしてくれました。
その当時、私はライオンにあこがれていました。どのお話の中でもライオンは周りに恐れられ、敬われる存在として描かれていました。ずる賢しこいキツネなんかもライオンが少しにらんだだけで、恐れおののいて、悪事を白状してしまいます。人間でさえライオンを怖がり、びくびくしながら避けて行くのです。
私はどちらかというと気が弱い子供でした。我が強く、強引に遊具を占領する乱暴な子の陰で、思うようにふるまえない自分をもどかしく感じていました。悪いことをする子を注意しても、全然いうことを聞いてくれないのです。
私にとってライオンは、しびれるほどクールな存在でした。ただ、「そこにいるだけ」で回りの連中が気を使い、へりくだるのです。そして、ライオンがいるところは、常に秩序が保たれ、平和なのです。ライオンは「百獣の王」なんだよ、と教えられた日には、興奮のあまり失神しそうになってしまいました。
ライオンはまさに、カッコよさの象徴だったのです。
私は、「将来の夢はライオンになることです!」と発表しようと決意しました。そうすれば、みんな、自分に感心し、一目置くようになるだろうと考えたのです。先生も、すごいことを考えつく子だ、と褒めてくれるに違いない、と思っていました。
発表の当日、私の発表は7番目か8番目くらいの順番だったと思います。ドキドキしながら自分の発表の瞬間を待っていました。
私の前に発表する子たちが、「野球選手」、とか「お医者さん」、とか「学校の先生」、とか「歌手」、とか「花屋さん」、とか発表するのを聞いているうちに、「おや、何かおかしいぞ」と思い始めました。「ライオン」、の違和感が突き抜けていました。
もし、「ライオン!」と言ってしまったら、とんでもないハプニングになってしまう危険を察知したのです。
私の直前の子が「マンガ家」と言った後で、私の順番になりました。とっさの判断で私は前の子をマネして「ボ、ボクもマンガ家!」といって、難を逃れました。危ないところでした。
私の後の子が「ケーキ屋さん」、とか「警察官」、とか言っているのを聞きながら、ドキドキがおさまりませんでした。
そのとき私は、大人に「夢」を聞かれたときには、なるべく楽しげな「仕事」か、立派に見える「職業」をこたえるのが「正解」なのだと学びました。
それにしても、何か腑に落ちない感覚が残りました。その後、私は「夢」とは何かについて、思索するようになりました。
この出来事が、私が、「夢」とは何か、について考えはじめる出発点となったのです。
(ivy 松村)