最近、以前の教え子と話す機会が多くなりました。
先週も、小学生の時に教えていた生徒がわざわざ訪ねてきてくれました。
懐かしい話ばかりしてしまって、今のこと、今後のことについては少し話しただけになってしまいました。
何か、相談があれば、きっと来てください。
私たちには、「できること」と「できないこと」がありますが、もしかしたら、求めている何かが、私たちに「できること」かも知れません。
どちらにしても、この場所は、必要とされる人に開放されています。
遠慮なく、話しにきてください。
今日は、八王子東の3年生になった元教え子の子たちが来てくれました。
「国立大学を目指そう」、という話をしました。
ちょっと、補足をしておきます。
実は、私はこの数年間、大学に通っていました。
幅広い分野の学問を学び直したり、今まで取得していなかった資格を取ったりしながら、塾で働いていたのです。
その中で、改めて思い直したのは、国公立大学の「価値」についてです。
日本の大学に進学するなら、国公立大学に行くべきです。
特に、官立大学の流れをくむ名門の国立大学を目指すべきです。
こうした大学群では、本流の学問を学ぶことができます。(私立大学で学ぶ「意義」はまた別のところにあります。)
本物の学問に触れる経験が、その後の人生をどれだけ豊かにすることか、言葉を尽くすことができません。
もちろん、きみたちにとって、大学進学と、その後の人生の展望は、密接なものであるはずです。
現代の日本の社会制度のもとでは、「大学」と就職は切り離せないものになっています。
就職や資格は、大学進学のための大きな目的となっているといえます。
しかし、それならば、なおのこと、人生が最も凝縮された青春の時期に、学問の深淵を覗くことに意味があるのです。
多くの人が忘れていますが、実は、「受験勉強」は学問の「準備」なのです。
大学で扱われる「知」と向き合えるだけの器量を養うためものなのです。
入試は、本来「学ぶ権利」を得るための関門なのです。
これからの一年、きみたちは、大変な時間を過ごすでしょう。
その間、私の言葉など、忘れてください。
「学ぶ権利」を得た後で、何となく思い出してくれるだけで、うれしいです。
応援しています。がんばってください。
(ivy 松村)