勉強には書き間違いが付きものです。
書き間違ったときは、消しゴムで消します。
鉛筆やシャーペンの芯の品質や消しゴムの品質が良くないものだと、うまく消えなかったりします。
また、特に小学生の男の子に多いのですが、筆圧が強すぎると、跡が残りやすくなります。
間違ったときに消しゴムで消すのに苦労することもあるようです。
手先をうまく使えない子は、消しゴムを使うのが苦手です。
間違った箇所をきちんと最後まで消し切らないで、その上に字を書こうとする子が、時々います。
私は、しっかりと消えていない鉛筆の線を「ユーレイ」と呼んでいます。
特に、漢字テストのときなどは「ユーレイ」が出ないように、見張っています。
「ユーレイ」が漂っているノートは、気分がすっきりしません。しっかり成仏させましょう。
消しゴムを使うと、消しかすが出ます。
机のすみに集めておいて、休憩時間や授業後にゴミ箱に捨てるように、生徒のみなさんにお願いしています。
消しかすは、手で払って床に落とさないように注意しましょう。
生徒のみなさんがきちんと協力してくれいているので、気持ちよく勉強できる環境になっていると思います。
ivy以外の塾でも、同じような教室の美化をすすめているところもあるようです。
でも、塾によっては、消しかすの処理のルールがあっても、講師の目を盗んで床に払い落として知らん顔をしている生徒もいるのだろうと思います。
実は、私は、以前は消しかすの処理に無頓着でした。
いっしょに仕事をさせていただいたある塾の校長先生が、「消しかす」に厳しい方でした。
私は、最初は、消しかすのことで叱ったりすることに慣れませんでした。
しかし、しだいに、「消しかす」への意識は、勉強にとって意味のあるものだと理解するようになったのです。
塾の教師として、非常に重要なことを学ばせてもらいました。
世の中の小学生や中学生の心理についてはよくわかっています。
別の塾の生徒の中には、「掃除をするのは塾側の仕事なのに、なんで自分たちが面倒くさいことをやらされなければいけないのか」と考える人もいるはずです。
そのような考えが脳裏に浮かぶ人は、幼稚な精神の持ち主です。
成長しましょう。
単純な答えです。
「ここ」は「消しかすを床に落とさない」というルールが定められている場所だから、それを守らなければならないのです。
レストランを例に取って考えてみましょう。
ごく普通のレストランでは、ウェイターやウェイトレスがお膳やお皿を持って来たり、下げたりしてくれます。
一方で、ハンバーガーショップや軽食のお店、学校の食堂などは、自分で自分の席に食事を運び、食後に自分で食器を下げるシステムになっています。
もし、ハンバーガーショップで、店員に、どうして席まで運んでくれないのか、ときいているような人がいたら、どうかしていると思いますよね。
もし、そのようなお店で、食事の後で、食器などを下げずに立ち去る人を見かけたとしたら、マナー違反だと思いますよね。
セルフサービスのお店に入ったら、そのルールに従って食事をするはずです。
それと同じことです。
「消しかすを床に落とさない」というルールがある場所では、そのルールを守ってください。
学校では消しかすを床に払っても、何も言われません。
だから?
どこでも同じようにしてよいわけではありません。
時と場所と状況によって、人間の取るべき態度は変わるのだ、ということを理解できない「痛い人」は、心の中でぶつぶつと文句をいいます。
たったひとつの行動指針だけをたよりに人生を生きていこうとする人は、きっと周りから程度の低い人間に見られてしまいます。
「ここ」には「ここのルール」があります。
「学習」の基本は、「教えられたことを実行する」ということです。
「こうしなさい」と指示されたことを素直にこなせないということは、最も初歩的な学習の姿勢を持っていないということです。
学力の向上、という観点から考えても、見過ごすことはできません。
はっきりいって、「消しかすの処理」程度のことをまともにできない人は、能力に見合った学力を得ることはできません。
さて、ここまで述べてきたのは、学校と塾のやり方は違うので、塾では塾のやり方で過ごしてください、ということです。
しかし、本質的な問題は、「ルールの違い」ではありません。
少し考えればわかりますが、「学校の方がおかしい」のです。
消しかすは、100パーセント完全な「ごみ」です。
常識的な人は、街中や、電車の中や、家の中で、ごみを床にポイと捨てたりしません。
どうして、教室の中だけは、「ごみのポイ捨て」が許されると思うのですか?
学校は、あきらめているだけです。
数多くの問題が生じる中で、もはや「消しかす」など、小さすぎる話で、学校の先生もいちいち注意していられないのです。
塾は違います。
当たり前の常識を、当たり前にこなせる人になってほしいと思います。
ものごとを損得や苦楽といった面からしか考えられない人は、「掃除が面倒だからそんなことをいうのだろう」と思うようです。
そこまでの考えをもたれると、もはや真意などどうでもいいと思えます。
強く断言できるのは、そういう生徒は伸びないということですね。
「楽」を「得」だと感じるような、しょぼい価値観は捨ててください。
ちまちまと消しかすを集めたりするのがカッコ悪い、というような幼稚でしょっぱい自意識も捨てましょう。
すごく単純な話をしています。
「教室をきれいに使おう」
「ルールを守ろう」
「ていねいで、美しい所作で勉強しよう」
結局は、そういうことです。
(ivy 松村)