テストで最も重要なのは、点数を取ることです。
そのために必要なことは、正確な解答を記入すること、そして、できる限りたくさん正解をすることです。
今回は、「出来る限りたくさん正解すること」について考えてみましょう。
高校入試問題は、長大、増量の傾向にあります。
「ゆとり」云々といわれていますが、二十年前ほど前と比べると英語の文章題などをはじめ、最近の入試問題は非常にボリュームアップしています。
難関校ほど量的な負荷が高く、問題数も多い傾向にあります。
レベルの高いチャレンジ校の入試問題となると、時間内にすべての解答欄を埋めることさえ難しくなります。
もちろん、誰も解けない問題ばかりを出せば、全員が不正解になるだけで、学力の差異を判定することができません。ですから、入試問題は、考えればわかる問題をいくつか出題し、時間内に何問正解できるのか、という能力をみるような構成になりやすいのです。
したがって、入試においては、テストの時間が余る、ということを想定することはできません。入試本番では一秒さえも無駄にはできないのです。
小学校のころのテストは、すぐに解き終わり、残りの時間を暇に過ごしていた人も多いと思います。
小学生のテストや公文などの教材は、子供を褒めてあげるための材料ですが、入試は、ある意味では、基準以下の人を排除するためのシステムです。全く正反対の設計なのです。
小学校のころの「点を取らせてあげる」テストのイメージを更新できていない生徒は、入試問題に接したときに、軽いパニックになってしまいます。大量の難しい問題が羅列されていて、途方もなく高い学力が要求されるものだと感じてしまうのです。
ですから、学習塾では、基本的には、ほとんどの生徒が時間内に解き終わるようなテストは実施しないようにします。(確認テストなどは別です)。生徒には、テストに対する概念を変えてもらう必要があるのです。
塾で受けたテストが返却されたときに、点数が低くて、ショックを受けてしまう生徒がいますが、それは必要な経験です。
さて、「できる限りたくさん正解をする」ということは、いい方をかえていうならば、「処理のスピードを上げる」ということです。
テストというものの本質は、「問題が解けるかどうか」ではありません。
「制限時間内にどれだけ正解の数を増やせるか」ということです。ですから、速く、正確に問題をこなす能力が要求されるのです。
国語という教科は、特にその傾向が顕著です。
丹念に文章を読んで、じっくり考えて答えを出せば、高得点を取れるかもしれません。しかし、それは無意味です。制限時間内にどれだけ点数を獲得できるか、が実力と見なされるのです。
たとえば、中央大学附属高校(中附)の入試問題は、特に処理のスピードが求められます。私は「高速処理型」入試問題と呼んでいます。明治大学付属中野八王子高校(明八)もそのタイプに近いです。
「高速処理型」の高校を第一志望とする生徒は、なによりも処理能力を上げていかなければなりません。そのためには多くの過去問演習をこなし、その中でいかにして時間短縮していくのかというコツをつかんでいく必要があります。
指導するほうも、無駄な時間を使っていないかチェックし、どうやって時間を削っていくのかアドバイスします。
ところで、正解することが難しく、点数が得られる可能性の少ない問題を「捨て問(すてもん)」と呼びます。思い切って、「解かない」という選択をしなければならない問題です。
難関校の入試では、いかに早く「捨て問」か、解くべき問題かを判断することも大切です。「捨て問」にすべき問題の処理にとまどってしまうと、その分、貴重な時間が失われてしまいます。そのせいで、解けるはずの問題が手つかずになってしまったら、それはまさしく「失点」です。
中附の国語の入試問題はほとんど「捨て問」がありませんが、例えば、早稲田実業学校(早実)などは、「捨て問」かどうかの判断が戦略上重要になってきます。見切りをつける練習もしなければなりません。
ちなみに、中附と同様に、中央大学の附属の高校である中央大学杉並高校(中杉)は、「高速処理型」ではなく、思考力や記述力が問われます。かつては聞き取り問題もありました。
入試問題は、その学校の理念や精神を体現するものであるといえますが、同じ大学の附属高校でも、非常に対照的で面白いですね。
(ivy 松村)