21世紀の最初の15年は、「グローバリズム」が世界を席巻しました。
「グローバリズム」は、通信・輸送技術の発展と、国家間の規制や障壁の緩和によって進展しました。
非常に単純化していえば、冷戦が終結したことによって、地球のほぼ全域が「資本主義」の、単一の「経済活動領域」として統合されたわけです。
21世紀初頭は、先行して発展を享受していた、いわゆる「先進国」に対して、新興国の目覚ましい「キャッチアップ」が見られました。
グローバル化した世界では、世界中が「市場」となります。
そのため、消費財の「生産体制」がより「巨大」になります。それにともなって、エネルギー資源の確保やインフラ整備がよりいっそう活発化します。
したがって、豊富な「労働力」、あるいは「資源」を有した国が勃興しました。
21世紀には、いわゆる「BRICs」や、産油国の「国力」が増し、存在感が高まることになったわけです。
一方、「先進国」では、社会的な「格差」が拡大します。
その大きな理由は「労働力の国際競争」の激化です。
有力な国内企業のほとんどが「多国籍企業化」し、人件費の安い「国外」で生産を行うことが一般的になりました。また、外国人労働者を積極的に受け入れました。
「企業」(や投資家)はより大きく儲け、肥大化していきます。
一方、「労働者」はより「効率的な生産性」を求められるようになったわけです。
「グローバリズム」は、「国際化」とか「文化的画一化」といった「精神面」が焦点化されて論じられることがありますが、核心的には、「経済活動規模の巨大化」に他なりません。
「資本主義」を「極限」にまで押し広げようというのが「グローバリズム」の本質です。
非常に乱暴な「図式」を示すことが許されるのであれば、「先進国」において、グローバル化によって得をするのが「資本家」であり、損をするのが「労働者」であるということになります。
「グローバリズム」を「軸」にして改めて「状況」を見直してみると、イギリスのEU離脱やトランプ大統領の誕生といった「サプライズ」が何を意味しているのかがわかってきます。
すなわち、これらの出来事は、イギリス・アメリカ両国で、「反グローバリズム」の「うねり」が「臨界点」を超えたことを物語っています。
この2つの「決定」には、共通点があります。
それは、「自国民の利益を最優先する」という「理念」です。
(ivy 松村)