『みかづき』のなかで、とくに印象的だったのが、「塾にはまる」という表現でした。
これは、おそらく、森さんが取材をされた塾の方がおっしゃった言葉なのだろうと思います。
「はまる」という表現は、あまりにもぴったりだ、と感じました。
「はまる」というスラングは、「夢中になる」とか「没頭する」という意味で使われることがあります。
学習塾で教えるという仕事に、魅力や面白さを見出し、やりがいを感じている塾の教師たちが、この日本に、数多くいらっしゃることでしょう。
さらに「はまる」という言葉は、「良くない状態のまま、身動きが取れない」といった意味を持ちます。
この業界には、さまざまな「しがらみ」や「義理」に絡めとられてしまって、「脱出」できなくなってしまっている人もいらっしゃるのかもしれません。
また、「はまる」は、「ちょうどよく適合する」という意味で使われることもあります。
塾の教師は、一般的には、まだまだ人気のある仕事であるとは言い難いのが実情です。
(この小説が、塾の教師の社会的評価を向上させてくれることをひそかに期待しています。)
「将来なりたい職業」に塾の教師を挙げる子供は、いるとすれば、相当風変わりというか、希少な存在です。
反面、「学校の先生」は、根強い人気を保っています。その差の由来は、ひとつには、「学校の先生」が「安定した仕事」であるということが挙げられるでしょう。そして、また、塾の教師が、受験指導に特化した存在であることも一因として挙げられそうです。つまり、塾の教師は、どれほど生徒たちと信頼関係を築こうとも、本質的には、子供たちを「駆り立てる存在」であるわけです。
つまり、まあ、子供の頃から塾の教師になりたいと思っていた人間は、稀なわけです。
世の中のほとんどの塾の教師は、青年期に、ある種の成りゆきや勧誘を経て、塾と関わり、この業界に身を投じます。あるいは、就職活動の際に、塾で働くという選択肢を意識したのだろうと思います。
別に、自分を含めた塾で働く人間を卑下しようとしているわけではなく、人生のある時点に、思いもよらない「道」が立ち現れることがあるのだ、ということについて述べています。
それもまた、十分に幸福な、ひとつの人生の帰結なのです。
「塾にはまる」というのは、「自分の人生が、はからずも、塾という世界に合致する」という意味でとらえることもできそうです。
森絵都さんの小説『みかづき』は、2014年に連載がはじまっています。
執筆にあたって、学習塾業界についてかなり入念に取材されています。
実は、私も、同時期に、学習塾の歴史について調べていて、何やらちょっと、勝手な親近感を持っています。
いずれそのうち「塾の歴史」について、このブログに書こうと思っていたのですが、そんなものに興味のある人がどれだけいるのだろうか、と考えてしまい、いくつかの記事の中で少し触れたこともありましたが、特にまとめたものを書くこともないままにしてしまいました。
触発されてしまったので、そのうち、書くかもしれません。
(ivy 松村)