英語は、「語順」が定められている言語です。
そのために、「語順整序」のような問題形式があり得ます。
一方、日本語は、厳密な「語順」が定められていません。
「助詞」の働きによって「文の成分」が表示されるために、文中のどの位置に「語」を配置しても文意を損なうことはありません。
そのために、自由な語順操作が可能となります。
ふたつの言語は、非常に対照的です。
しかし、実は、古い英語は、日本語のように「語」を並べ替えることができるタイプの言語でした。これは、意外に知られていません。
日本語と同じように、語順操作が可能な言語のひとつにドイツ語がありますが、英語の元になったのは、ドイツ語の方言なのです。
「古英語」(Old English)は、現在のドイツ語と同じように、語順操作が可能な言語でした。
5世紀ごろに、現在のドイツに住んでいた「ゲルマン人」の、大規模なイギリス移住が起こりました。彼らの話していた言語が英語の「母体」となったのです。
ところで、公立中学では、ほぼ例外なく音楽の時間にシューベルトの「魔王」を学習します。
その中で、いくつかのドイツ語に触れる機会があります。
そこに出てくるドイツ語の単語が、英語に非常によく似ていることに気づいた人もいると思います。
ドイツ語 | 英語 | ||||
私の~ | mein(マイン) | my(マイ) | |||
息子 | Sohn(ゾーン) | son(サン) | |||
父 | Varter(ファーター) | father(ファーザー) | |||
子供 | Kind(キント) | kid(キッド) |
英語とドイツ語は、もともと「祖先」が同じ言語です。
しかし、現在の英語とドイツ語には、非常に大きな相違があるわけです。
それは、英語は「語順」が固定されているのに対し、ドイツは「語順」を操作できるという点です。
次のドイツ語の文を見てみましょう。
「Mein Vater liest das Buch.」
これは、英語の「My father reads the book.」という文に対応しています。
「Mein Vater」=「私の父」
「liest」=「(彼は)読む」
「das Buch」=「その本を」
(ドイツ語で本のことを「Buch」(ブーフ)と言いますが、英語の「book」と対応していることがわかりますね。)
さて、英語は、当然のことながら「My father reads the book.」以外の「語順」で語を配置することができないわけです。
「主語・動詞・目的語」の「語順」は「絶対」です。
ところが、ドイツ語は、以下のような「語順」で「語」を並べ替えることが許されているのです。
「Das Buch liest mein Vater.」(その本を、父は読む。)
「目的語」である「das Buch」が、動詞の前に配置されています。
英語の文法では、その位置は「主語」が置かれなければなりませんが、ドイツ語の場合には、「目的語」や副詞などの「修飾要素」を置くこともできます。「語」の自由な配置が許されているわけです。
(ただし、「動詞」は「第二番目」の位置に置くことが定められています。)
上記のドイツ語と「同じ語順」で英語を並べてみると:
?「The book reads my father.」(?その本は私の父を読む。)
まったく「意味不明」の文が出来上がります。
では、なぜ、ドイツ語は英語とは違って、語順操作が可能なのでしょうか。
その理由は冠詞と代名詞にあります。
「Das Buch liest mein Vater.」という文には、「das」という冠詞(英語の「the」に相当する)と「mein」(英語の「my」に相当する)という代名詞が現れています。
実は、これらの語が「主語」や「目的語」を示すように「変化」しているのです。
(実際には、少しまぎらわしい部分もあるのですが、)「mein Vater」は必ず「主語」であることを表し、そして「das Buch」は、「目的語」であると理解されるのです。
ですから、この2つの「要素」を入れかえても、文意を混同することはあり得ないわけです。
ドイツ語は、「主語」や「目的語」を示すのに、「単語を変化させる」タイプの言語なのです。
まとめてみましょう。
・「英語」…「主語」や「目的語」を示すのは「語順」
・「日本語」…「主語」や「目的語」を示すのは「助詞」
・「ドイツ語」…「主語」や「目的語」を示すのは「単語の変化」
さて、英語はもともとドイツ語と同じように、語順操作が可能な言語だったという話でした。
現代の英語は、古い時代の英語とは「全く別物」となっているのです。
かつての英語は、ドイツ語によく似た文法を有し、自由に語を配置することができるタイプの言語でした。
しかし、数百年ほどの間に、英語は急激な変化を遂げ、現在の形になります。
おそらく英語は、地球上のあらゆる言語の中で、ほんの数世紀という短期間に、最も大きく変貌した言語です。
ところで、伝統的な言語学では、言語を3つの類型に分類します。
それは、「言語類型論」と呼ばれます。
一般的には、以下のような分類であると理解されています。
・「屈折語」…単語が「変化」する(ロシア語・ドイツ語など)
・「膠着語」…単語に付属する「機能語」(つまり「助詞」)がある(日本語・トルコ語など)
・「孤立語」…「単語の変化」や「単語に付属する語」がない(中国語・ベトナム語など)
実は、言語学の専門家のなかにも、「言語類型論」の本質を見誤っている人がいます。
「言語類型論」は、実は、「格」の表示方法によって言語を分類するものなのです。
「格」とは、簡単にいえば、「文中での名詞の働き」のことをいいます。もう少しわかりやすくいえば、「主語」や「目的語」といった「役割」のことです。
つまり、「主語」や「目的語」の表しかたによって、言語を分類するわけです。
したがって、それぞれの言語の「類型」は、以下のような「説明」が、より的を射ています。
・「屈折語」…単語を変化させて「格」を表示する
・「膠着語」…「機能語」を付属させることによって「格」を表示する
・「孤立語」…「語順」によって、「格」を表示する
この分類に従えば、現代英語は「孤立語」の特性を持った言語であるということがわかります。
英語は、「屈折語」から「孤立語」へと、その性質を根本から変えてしまった言語なのです。
「屈折語」であるドイツ語や「膠着語」である日本語は、「主語」や「目的語」を顕在的に示すことができるので、語順操作が可能になります。
一方、「孤立語」である英語は、「語順」によってのみ、「格」の表示が可能となります。
ですから、「The book reads my father.」という文も、理性的に考えて「私の父はその本を読む。」と言いたいのだな、と頭の片隅では理解していても、その解釈は否定されてしまうわけです。
「語順」だけが、英語の「格」を決定する「ルール」だからです。
(ivy 松村)