今回は、勉強や塾のこととは関係がないのですが、「アナと雪の女王」を観て考えたことなどを書いてみます。特に、ハンスのことが気になりました。
まだ「アナと雪の女王」をご覧になっていない方は注意してください:ネタバレも含んでいます。
「アナと雪の女王」は大変綿密に構成された物語でしたが、ハンスの人物造形は少し不思議な感じがしました。気さくで、紳士的、また誠実で、勇敢であった彼が、実は計算高く野心的な悪役であったことが、物語の後半で明らかになります。その豹変は唐突で、やや不自然に思いました。
おそらく、ハンスのキャラクターは最初からそのように設定されたのではなく、シナリオの制約によって与えられたものではないかと思います。
この映画の監督は、ハンスは「鏡」であり、周囲の人物を投影する存在であると語っているそうです。しかし、「彼は『鏡』だからあのような行動をとった」と「種明かし」されても違和感が残ります。
ハンスは最初から「鏡」として設定されたのではなく、彼を「鏡」であると位置づけることで、彼の支離滅裂な人格に対して整合性をもった説明をつけようとしたのではないかと思います。
実は、エルサは当初、悪役になるはずだったそうです。しかし、主題歌になっている「Let it go」の出来があまりにもすばらしかったので、設定が変更され、彼女はもう1人の主役になったのだという解説を読みました。おそらく、この設定の変更による「玉突き」によって、この物語におけるハンスの役割が変わってしまったのではないかと思います。
つまり、設定が変更され、物語が再構成されるなかで、エルサが悪役ではなくなり、かわりにハンスが悪役となったのではないかと、思うのです。
正体を現すまでのハンスは、少しドジなところも含めて「完璧なヒーロー」でした。そのような描かれ方がなされたのは、その後の悪辣ぶりを際立たせるためだとは思えませんでした。
前半のハンスは、まったく自然で説得力のある人物描写でした。一方、後半の悪役としてのハンスは性急で杜撰な行動をしていて、非常に不可解に思えました。
実は、前半の彼こそが、もともと「予定」されていたあるべき姿のハンスなのではないのかな、と思います。
ハンスが一貫して悪役であるならば、本当は悪役であるという伏線や暗示などが前半にも示されるべきだと思います(ハンスが「鏡」であるがゆえの態度やセリフ回しは見られましたが)。しかし、そのような演出をしてしまうと、物語前半でのアナとハンスのやり取りやロマンスの演出、歌などに、観客は感情移入していけなくなってしまいます。
もしかしたら、高い完成度に仕上がってしまった、一連の素晴らしいアナとハンスの場面に手を加えることができなくなったのかもしれません。
いずれにしても、物語の前半でハンスは、悪をみじんも感じさせない「完璧なヒーロー」を演じてしまいました。そのため、ハンスの、魅力的な若者というキャラクターと、悪役のキャラクターの両方をうまくつなぎ合わせなければならないという「合理的な問題」が生じてしまいます。
そこで、前半のロマンスと後半の悪役としてのハンスを両立させるための説明原理として、「鏡」という概念が持ち出されたのではないでしょうか。ハンスが「鏡」であるという設定が先にあったわけではなく、ハンスが矛盾した行動をとるストーリー展開が決められ、それを成立させるための説明として、彼の人物像を「鏡」としたのではないかと想像してしまうのです。
一応念のため:製作者の揚げ足を取っていい気になりたいわけではありません。上に書いたことはほとんど想像でしかないのですが、むしろ、本当にギリギリのところで調整をしながら、作品を作っていることが感じられ、感動しました。うまく伝わらなければ、申しわけありません。
そして、幸福な結末の裏側で、悪役へと身をやつし、みじめなエンディングを迎えざるを得なかったハンスを思い、同情してしまうのです。さらには、「鏡」である彼は、自分というものがない空虚な存在であるとまでいわれています。
うがった見方すぎるでしょうか?
(ivy 松村)