多くの「受験関係者」が、今年の都立高校の入試問題に大きな衝撃を受けました。
入試問題が、大きく「様変わり」していたからです。
近年、都立高校の入試制度が矢継ぎ早に変更されました。
私は、一連の「流れ」を「危険だ」と感じています。
来年の入試も「台無し」にされてしまうと、都立高校は再び「凋落」の道へ歩を進めることになります。
かつて、「日比谷つぶし」と呼ばれた「学校群制度」の導入によって、都立の名門進学校は「衰退」を余儀なくされました。
50年後の今、「第二次日比谷つぶし」が着々と進行しています。
今度は、目立たないように、少しずつ、じりじりと。
近年の、都立高校入試の制度変更を確認してみましょう。
・「自校作成」→「グループ作成」
・入試得点と内申点の比重を「7:3」とする
・特別選考の廃止
・内申点は、実技4教科の評定を2倍に換算する
・マークシート導入→「記述問題の削減」
いずれも「入試選抜」の質を低下させる施策です。
都立高校をスポイルしようという「動き」が活発になったのは、石原慎太郎氏が都知事を辞任されてからです。
石原氏は、都立高校の改革を推し進め、「都立復権」を実現しました。その後を継いだのは猪瀬直樹です。そして、その後、舛添要一氏が都知事に就任されました。
猪瀬氏が都知事を辞められることが確定してから、都立高校入試の制度変更が矢継ぎ早に行われました。
あまりにも性急な決定が相次ぎ、十分な周知や議論がなされることがないまま、「いつの間にか変えられていた」という印象です。
都立高校入試制度の変更について、時系列で追ってみましょう。
年月日 | 発表された内容等 | ||
2012年12月18日 | 猪瀬直樹氏 就任 | ||
2013年3月26日 | 国分寺高校 入試問題流用発覚 | ||
2013年3月28日 | 2014年度から「グループ作成」が行われることが決定 | ||
2013年12月24日 | 猪瀬直樹氏 辞任 | ||
2014年1月23日 | 「都立高校入学者選抜検討委員会報告書」 | ||
入試得点と評定の比重を「7:3」、実技4科の評定を2倍、特別選考を廃止する方向を示唆 | |||
2014年2月11日 | 舛添要一氏 就任 | ||
2014年2月27日 | 都立高校入試で理科の出題ミス | ||
2014年4月10日 | 荻窪高校で採点ミスが発覚、直ちに調査が開始される | ||
2014年4月18日 | 「採点ミス問題」の報告 | ||
2014年4月24日 | 「採点ミス問題」の報告 | ||
2014年5月29日 | 入試選抜方法の改善 | ||
入試得点と内申点の比重をすべて「7:3」とすることを正式に決定 | |||
2014年6月3日 | 「採点ミス問題」の一次調査の結果と対応策 | ||
「都立高校入試調査・委員会」の設置 | |||
2014年8月28日 | 「採点ミス問題」の二次、三次調査の結果 | ||
2014年8月28日 | 「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」 | ||
マークシート方式の導入を決定 | |||
2014年9月11日 | 「採点ミス問題」職員の処分の発表 | ||
2014年9月11日 | 「採点ミス問題」再発防止・改善策 | ||
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広報戦略上の、非常に巧妙な「テクニック」が駆使されていることが見てとれます。
猪瀬氏の辞任のタイミングで「都立高校入試 調査・改善委員会報告書」が発表されています。
非常に重要な内容です。都立高校入試の制度を根本から大きく変えようというものでした。
「2014年1月23日」というタイミングは、「狙ったもの」なのでしょう。
都立高校推薦入試の願書の受付が前日の「22日」です。学校関係者や受験関係者が志願状況や倍率の発表に注目している「隙」に「超重大な発表」を行ったわけです。
また、世間の耳目を集める「採点ミス問題」に関する情報や報告に紛れ込み、その背後に隠れるような形で、少しずつ入試制度が「削られている」ことがわかります。
「採点ミス問題」は、「カムフラージュ」としては抜群の効果を発揮しました。
また、一連の「動き」を正当化する絶大な「口実」となりました。
たぶん、石原さんが都知事を続けられていたならば、(対応はされたとは思いますが)わざわざ「大事」にはしなかったでしょう。
「人間は『歴史』に学ぶことができる」ということを示す格好の事例であるといえるのかもしれません。
50年前の「日比谷つぶし」は、あまりにも大きく広報してしまったために、批判や誹謗が非常に強く湧き起こりました。
「第二次日比谷つぶし」は、目立たないようにひっそりと展開されてきたわけです。
石原氏が辞められてから、「堰」から少しずつ水がもれはじめ、猪瀬氏が辞められてからは、完全に「決壊」して「濁流」が押し寄せてきているという印象です。
都知事の交代によって、東京都教育委員会という組織には、ある種の「コンフリクト」が起こっているように感じます。
もしかすると、現在の「トップ」は「外遊」や「湯治」に忙殺されて、「教育」のことに頭が回らないのかもしれません。おそらく、そのほとんどすべてを「誰か」にゆだねているのではないかと思われます。
「トップ」の交代によって「政策」が反転し、人事や実務に影響が出ることは「政府」や「組織」の中でしばし起こりうるものです。
私はあるひとつの「仮説」を立てています。
それは、東京都の「教育行政」を執行する組織内の「人事」で、都立高校を「復権」させようと努めていた「勢力」が基盤と実権を失い、都立高校をスポイルしようと考える「勢力」が発言権を強めているのではないかというものです。
多くの人は、東京都教育委員会の職員や関係者の考え方が「とんちんかん」だったり、能力が不足していたりするために、都立高校の入試が「グダグダ」になっているのだと感じてしまうと思います。
そうではなくて、計画的に都立高校をダメにしようと考えている人間が権勢を持ったのだろうと考えます。
さらに、都立高校の「弱体化」を望む人たちの「意を汲む」行動をとっているのかもしれません。
彼らは愚鈍なわけではなく、むしろ、「確信犯的」に動いているのではないかという気がします。
現実に、都立高校が「躍進」することを好ましく思わない人たちが存在します。
いいかえるなら、都立高校の「低迷」を望む人たちがいるわけです。
「私立学校」は、その代表例だといえるでしょう。
50年前の「日比谷つぶし」が完遂された後、大学受験における高校の「勢力図」は大きく塗り替えられました。
「私立学校」の著しい台頭がみられたわけです。
逆の見方をすれば、都立高校が強い勢力を持っていた1960年代には、「私立学校」勢力は都立に「抑え込まれていた」わけです。
公立学校と「私立学校」は競争関係にあります。
これはトップレベルの層だけに限ったことではありません。いずれの「レベル」であっても、「私立学校」は、生徒募集において公立学校と競合する運命にあります。
つまり、公立学校の「凋落」は、「私立学校」にとっては望ましい状態であるといえるわけです。
「私立学校」の存亡の「カギ」は、自治体の教育行政が握っています。
教育委員会という組織は、地域の教育行政「全体」を司っています。
ですから、教育委員会の政策や方針の転換は、「私立学校」の「利害」を左右することになります。
たとえば、東京都の場合、東京都教育委員会という教育行政の中枢が、積極的な都立高校の運営を行えば、「私立学校」は必然的に「圧迫」されることになるわけです。
「都立の復権」と「私立学校の衰退」はある意味で呼応関係にあります。逆もまたしかり、ということであって、「都立の凋落」と「私立学校の繁栄」は呼応しています。
ですから、「私立学校」側は、できれば「教育行政」にはたらきかけて、なんとか、「私立学校」が「圧迫」されないような施政を行ってもらおうと考えるでしょう。
「私立学校」にとっては、教育委員会との「折衝」が「死活問題」となるような「業界の構造」があるわけです。
「決定権」を有した人物や組織(政・官)に、「業界団体」が接触を持つことは社会一般によく見られる「営業」です。また、あるいは、政治的な活動や社会運動などを通して、「意を汲んだ人物」を「決定機関」に送り込み、「パイプ」を作ることも一般的に行われています。
確認すればすぐにわかることですが、多くの「私立学校」の大学の先生が、市町村の教育委員を務めています。たとえば、東京都西部のある有力な市の教育委員会は、教育長を除く4人の委員のうち3人が「私立学校」の関係者です。そこに、何か意味深いものがあるのかどうかはわかりませんが。
「教育委員」は「公選」によって選ばれるわけではないので、ちょっと、「見えにくい部分」があるのではないかという気がしています。
ちなみに、「教育学」関係の大学の先生の著書を読んでいると、教育機会の「平等」を唱える方が多くいることに気づきます。そういった方々は、「競争」や「社会の発展」というものを嫌うので、入試選抜の「強度」を下げようという「動機」を持っているようにも思えます。
東京都教育委員会の「愚かさ」を嘆くのは、もしかすると、「勘違い」なのかもしれません。
数々の都立高校入試の「改悪」は、よかれと思ってやったことが裏目に出ているのではなくて、ある人たちが、積極的に都立高校をダメにしようと思ってやっているのかもしれないわけです。
(ivy 松村)