「尊敬する人物は?」と聞かれたら、私は「相沢忠弘」と答えます。
日本で初めて旧石器時代の石器を発見した人です。
それまでは、日本の考古学界では、日本には旧石器時代は存在しなかったと考えられていました。
相沢さんの発見は、日本考古学史上に残る大発見でした。
ちなみに、「旧石器時代」の次には「新石器時代」が来ることになっていますが、日本の時代区分には「新石器時代」がありません。それは、日本にはあまりにも強烈なインパクトを持つ「縄文土器」が存在したために、その土器をもとに歴史区分を設定したからなのです。つまり、世界史的に「新石器時代」に当たる時代を、日本では独自に「縄文時代」と呼んでいるのです。
相沢さんの発見は、縄文時代よりも前に、日本に、人々が暮らしていたことを証明するものでした。
その発見をきっかけにして、旧石器時代の「岩宿遺跡」が発掘されたのです。
「岩宿遺跡」は、今ではどの教科書にも必ず載っています。
実は、私の父は考古学の仕事をしていました。家には、膨大な数の考古学の本があったのですが、その中で、『岩宿遺跡のなぞ』という一冊の本のタイトルが、ずいぶんと長い間記憶に残っていました。
今になって思うと、父は、その本を自分の子供に読ませたかったのかもしれません。
記憶をたどってみると、家の中の目に付く場所に、いつもその本が置いてありましたから。
でも、私はその本を読むことはありませんでした。なにしろ、その頃すでに私は、人物伝のようなものを見限ってしまっていたのです。
小学生の頃、よく伝記を読んでいた時期がありました。
ベートーベン、エジソン、キュリー夫人、ガンディー、ファーブル、野口英世、豊臣秀吉…その他にもいろいろと読んだはずなのですが、ほとんど記憶に残っていません。
だんだん伝記というものにしらけてしまって、シリーズを読破する前に、恐竜や昆虫の事典に興味が移っていたように記憶しています。
「自分には、才能を持った天才のように生きることなんてできない」という思いが強くなっていったのです。たぶん、当時の私は、自分の人生の「手本」を伝記に求めていたのだと思います。
ずっと後になって、私は、岩宿遺跡の発見者である相沢忠弘さんの人生を知りました。
相沢さんの生き様は、私の魂を激しく揺さぶりました。
相沢さんの人生を切り開いたのは「情熱」でした。
相沢さんは、少年時代に彼の心にともった「考古学のともしび」を、何があろうとも絶やすことなく燃やし続けたのです。
馬鹿にされ、さげすまれ、軽んじられながら、真面目に、純粋に、愚直に。
「自分はどう生きるべきなのか」という問に対する答えが、そこにはありました。
「才能」を見習うことはできませんが、「情熱」を見習うことはできるのだと悟ったのです。
(ivy 松村)