国会の「攻防」が激化しています。
「正念場」となったこの2か月、数々の「問題」が矢継ぎ早に噴出し、「野党」の攻勢に拍車がかかりました。
「野党」には、この通常国会の会期中に、どうしても安倍政権に「致命傷」を与えておかなければならない「事情」がありました。
ある意味で、数々の「問題」は、そのために「用意されたもの」であるといえます。
秋に、自民党の「総裁選」が行われます。
もし、そこで、安倍さんが自民党の総裁に選ばれず、他の誰かが新しい自民党の総裁に選ばれれば、結果として、安倍政権は幕を閉じることになります。
新しい総裁が、内閣総理大臣に指名されることになるからです。
そうなれば、現在の日本の「野党」の「最優先の目的」である、「倒閣」が実現するわけです。
通常国会が終われば、国会は「夏休み」に入ります。
そうすると、「野党」が、安倍政権を直接攻め立てる機会は完全に失われます。
したがって、今このときに、安倍政権が危機的な状況を迎えているという「空気」を、大きくふくらませておく必要があったわけです。
「野党」にとって「政権交代」は、もはや現実的ではありません。選挙では、勝てる見込みがないからです。
そこで、自民党内で働く「力学」に刺激を与えることで、「安倍おろし」を実現させたいと考えているわけです。
現職総理大臣に対する「世論」の反発が盛り上がれば、自民党内で現職総理大臣の求心力が低下します。現職総理大臣が「トップ」のままでは、選挙に勝てなくなると考える党員が出てくるからです。
また、次の総理大臣の椅子を狙う自民党の政治家の活動が活発になります。
現在の「トップ」を追い込むことが、自分にとって「プラス」になるからです。
したがって、党内の「権力争い」が顕在化します。
「野党」にとって、自民党は倒すべき敵ですが、自民党内には、「同じ目的」を持った「敵の敵」がいるわけです。そこで、「野党」は、自民党内の実力者に、それとなく「呼応」を促し、安倍さんの失脚につなげようと考えます。
このような、他の政治勢力に対して協力関係を求める態度を、政治の文脈で「秋波をおくる」と表現します。
よくニュースを見てみると、「秋波」に反応しようとしている自民党の政治家がいることがわかります。ときに、自民党の政治家が、政権批判を行ったりすることがありますね。
現在の「与党」の最大勢力である自民党の「トップ」を決める「総裁選」は、総理大臣を決定する「プロセス」でもあります。
「野党」の、内閣に対する激しい攻撃は、自民党内部に揺さぶりをかけようという意図があるわけです。
この2か月の「攻防」は、戦後政治史に残るほどの無軌道ぶりをみせ、苛烈を極めました。
しかし、「野党」の目論見は、徐々に腰砕けになりつつあります。
現状では、安倍体制の牙城を崩すことはできないでしょう。
安倍さんは、非常に巧みに自民党をまとめています。
秋の「総裁選」では、安倍さんが再選される見通しが強まっています。
安倍さんの自民党内の「ガバナンス」が安定している理由をいくつか挙げることができます。
1つ目は、安倍さんの「選挙の強さ」です。
第2次政権以降、安倍さんは、都知事選、都議会選では苦杯を喫しましたが、国政選挙では、無類の強さを発揮しています。
国民人気の高い安倍さんが「総理・総裁」であれば、自民党の政治家は当選する可能性が高くなるわけです。
2つ目は、党の「執行部」の「集権化」が進んでいることです。
自民党では、かつて「派閥政治」が横行しました。
現在も「派閥」の枠組みは温存されていますが、もはや「派閥」単位で選挙を戦う時代ではなくなりました。衆議院で小選挙区制が導入されたことや政党助成法ができたことで、「執行部」(特に幹事長)が、公認や資金の分配などの権限を持ちました。
それによって、2000年代中ごろから、自民党は、ボトムアップ型の組織からトップダウン型の組織へと変貌しました。
3つ目は、安倍さんの「後継者」がいまだに頭角を現していないことです。
これは、同じように長期政権を担った小泉さんとは対照的です。
小泉さんはその執政期に、安倍さんを含め、多くの後継者候補を育てました。
そして、4つ目は、安倍さんの「トップ」としての資質です。
安倍さんは、他の政治家とは異質な「感性」を持った政治家だと思います。
それは、安倍さんの「キャリア」と関係しているように思います。
安倍さんは、世襲政治家でありながら、長い「下積み時代」を経験しています。また、当初は民間企業に勤めました。
安倍さんは、しがらみや固定観念にとらわれず、適材適所に人を配置します。人の能力を引き出す術を知っている人だと思います。言葉をかえるならば、人を使うのが非常に上手です。
安倍さんは、他の政治家とは一線を画した「組織論」を持っているように思います。
さらに、安倍さんは、類まれなコミュニケーション能力を持った政治家です。
折衝や交渉が非常に巧みで、社交性が豊かです。冗談や皮肉も上手です。
こうした「能力」は、天分なのかもしれませんが、その多くをサラリーマン時代や「下積み時代」に培ったのだろうと推察します。
また、安倍さんは、第1次政権時に大きな蹉跌を経験しました。
今の安倍政権には、多少の「揺さぶり」には動じない強い「メンタリティ」があると思います。ありていな言葉でいえば、「腹が据わっている」というのだろうと思います。
それは、一度失敗をして、這いあがってきた政治家に特有のものなのかもしれません。
(反面の、安倍さんの政治家としての欠点は、「口の軽さ」だったり、信用できないとみなした相手を徹底的にみくびって反感や恨みを買う部分だと思います。また、その「頑固さ」は、長所でもありますが、短所でもあると思います。)
さて、安倍政権が、猛攻撃に見舞われながら、なお盤石な体制を維持している最大の理由は、やはり、「野党」に対する世の中の「不信感」が大きくなっていることです。
「野党」を信用できないので、消去法で現政権を支持せざるをえないという層が広がっています。
たとえ「消去法」であっても、「政権・与党」が多数の「支持」を集めているという「構図」に変わりはないわけです。
「野党」への支持が広がらないのは、「倒閣」が、完全に「目的化」してしまっているからです。
無理を押し通してでも「倒閣」を遂行しようという思惑が透けて見えてしまって、共感をよばないわけです。「安倍政権を倒す」ということの優先順位が、「この国を良くしよう」という政治家の「本懐」よりも上にきてしまっています。
もう少し踏み込んだ指摘をするならば、一連の問題で見せた「野党」の行動パターンは、すでに古い時代のものになっています。
したがって、同じように古い感性を共有する層にはある程度の訴求力を発揮しますが、同時代的な感性には共感をよびません。
「テレビ栄え」を意識したパフォーマンスや演出は、むしろ逆効果となっています。
「野党」は、財務省の「公文書書き換え問題」で、政権を追い込もうと試みましたが、「失敗」に終わりました。
「野党」にとって思いどおりの「成果」を得ることはできませんでした。
本来であれば、「問題」の原因を突き止めて、再発防止に向けた議論を行うべきでしょう。
ところが、野党は、「倒閣」のために、この問題を利用しようとしました。
「誰かの指示」があったのではないか、という「ストーリー」にこだわり過ぎたのです。
そのおかげで、麻生財務大臣は辞任を免れたといってもいい過ぎではないと思います。
国家公務員が、重大な違反行為を行ったわけです。
「責任者」が「責任」を取る、というのは、(個人的には疑問に思う部分もありますが)日本社会の「しきたり」や「慣習」に従えば、十分に「筋」のとおる決着のつけかたであったといえると思います。しかし、これを「政権の進退」という「論題」にすり替えようとしてしまったために、なけなしの「成果」さえも失ってしまったわけです。
さらに、財務省の次官が辞任に追い込まれた件でも、「野党」は「それ」を「倒閣」に結び付けようとしました。
本来であれば、「この問題」は、日本社会や日本の「組織」をより良くするための「一歩」となったかもしれなかったのです。
「問題の本質」とはかけ離れた扱われ方をしてしまったために、禍根だけが残りました。
今また加計学園問題が再燃していますが、政権を追いつめるのは、やはりちょっと厳しそうです。まあ、この件は少し他と違う点があるので、まだちょっとわからない部分もあるのですが。
「野党」の「倒閣運動」は、たとえるなら「無自覚な焦土戦」です。
これまで築き上げられてきた政治的なインフラや社会システムを倒壊させながら、「政治不信」を膨張させています。
ある人たちは、一部の「野党」に対して、「混乱」を拡大させることに、ある種の「インセンティブ」があるのではないかと疑っています。真偽はともかく、こうした「疑念」を持たれてしまうことが、さらに安倍政権を幇助するわけです。
(ivy 松村)