今年はサッカーのワールドカップが開かれる「ワールドカップ・イヤー」ですが、ワールドカップ本選を目前にして、3年間日本代表チームの監督を務めたバヒド・ハリルホジッチ氏が解任され、大変な議論となりました。
サッカーのワールドカップは、その歴史、規模、注目度からいって、まさしく世界最高峰のスポーツイベントです。ワールドカップの「成績」は「その国のサッカー」の今後を大きく左右するにちがいありません。
ハリルホジッチ氏の解任に「賛成」の立場の人は、ハリルホジッチ氏が監督では、ワールドカップで良い成績が残せないと考えています。
したがって、別の監督に変えなければならない、というわけです。
一方、ハリルホジッチ氏の解任に「反対」の立場の人は、「継続性」を重視します。
ハリルホジッチ氏の就任からワールドカップ終了までを1つの「区切り」であると捉え、その期間の「検証」を行うことで、それを「次」につなげることができると考えているわけです。
また、「消極的な反対派」も存在します。
彼らは、ハリルホジッチ氏の手腕に疑問を抱いているけれども、直前に監督を変更するのは「悪手」であると考えています。
今回の「解任劇」について、新聞やテレビには「前代未聞」という刺激的な言葉が踊りました。
しかし、「サッカーの世界」では、本番直前に監督が解任されたり、大会期間中に監督が更迭されたりすることなど、実は、わりとよくある話です。
ハリルホジッチ氏自身、ワールドカップ直前に解任されたのは、これが「2度目」の経験です。
つまり、日本サッカー協会の「決断」は、そうした「サッカーの世界」の「スタンダード」からみれば、決してめずらしいものではないのです。
ある意味で、ハリルホジッチ氏の「反応」は過剰だったともいえます。
日本サッカー協会が、その「態度や物腰」を、さも非礼で冷淡であるかのようにそしられ、そのような「予想以上」の反響にとまどい、苛立ちを募らせたのは、無理もないことだったのかもしれません。
ただ、私は、「この件」に関しては、ハリルホジッチ氏に同情的です。
ハリルホジッチ氏は、「プライドを傷つけられた」と繰り返し述べていました。
ハリルホジッチ氏が耐えられなかったのは、本当は、「辞めさせられたこと」ではないのかもしれません。
「ハリルホジッチ氏ではワールドカップに勝てない」という評価を下されたことなのだろうと思います。
ハリルホジッチ氏に限らず、およそすべてのスポーツ指導者は、悲惨な負け方をしてしまったときに、酷評される覚悟をしていると思います。
ところが、「今回」は、「結果」ではなく「予想」で監督としての能力を見限られてしまったわけです。
ハリルホジッチ氏は「そのような事態」をまったく想定していなかったために、狼狽し、錯乱したのだと思います。
少し補足するならば、ハリルホジッチ氏は、前回のワールドカップで、前評判を覆し、世界を驚嘆させる結果を残した監督です。日本サッカー協会は、まさに「その手腕」を見込んで、日本代表の監督のオファーを出したわけです。
解任の「ひきがね」となったのは、3月の「遠征試合」でした。
その「試合内容」に危機感を募らせた日本サッカー協会は、ハリルホジッチ氏の解任に大きく傾くことになったと言われています。
日本サッカー協会は、その「遠征試合」を、ワールドカップ本番をみすえた重要な「模擬戦」であると捉えていました。
他方、ハリルホジッチ氏は、その「遠征試合」を、本番に向けた調整の一部であると考えていました。
両者の「認識の違い」は「問題」を複雑にした原因のひとつですが、通常、こうした「溝」は容易に解消することができるものです。
単純に、「遠征試合の結果次第では、解任もあり得る」と伝えておけばよかったのです。
そうすれば、ハリルホジッチ氏は協会が「危機感」を抱いていると理解し、自分の「立場」や「なすべきこと」について考えをはせることができたはずです。
日本サッカー協会は、選手との「コミュニケーション不足」を、ハリルホジッチ氏の指導の問題点として挙げていました。
しかし、実際にコミュニケーションが不足していたのは、協会と監督だったということなのですが、「そのこと」を「ほとんどの人」は示唆しません。
別の見解も存在します。
「遠征試合」の試合内容が良くなかったというのは「口実」にすぎず、もっと他の「直接的な理由」があったのではないかという観点です。
そうであるならば、日本サッカー協会の説明は、単なる「後付け」の解任理由であるということになります。そのために、「遠征試合」の結果が「唐突に問題視されることになった」のかもしれません。
日本サッカー協会が「問題視」したのはハリルホジッチ氏の「選手選考」であった、という可能性があります。
こうした見方は、なお報道関係者の間でくすぶっています。
つまり、ワールドカップに向けたハリルホジッチ氏の構想が具体的になるにつれて、協会側が要望する選手がメンバー登録から外される可能性が強まったわけです。
日本サッカー協会は、「経済効果」も含めた「総合的な見地」から、代表監督の人事を考えなければならないということなのでしょう。
「選手選考」は監督の「専権事項」であり、他の何人たりとも侵害しえない、という観念は、根強くあります。
しかし、現実的に、サッカーの「プロの監督」は、無制限の「権限」を与えられ、自由にチームを編成したり、独自の方針や戦術を決定したりすることができるような存在ではありません。
それはサッカーの監督に限った話ではなく、およそ「現場の指揮者」という役割を担う人物は、様々な「制約」や考慮すべき「リクエスト」などを飲み込んで、「チーム」をコントロールし、成果をあげようとするはずです。
イタリアなどのヨーロッパのサッカークラブではよくある話ですが、たとえば、「ワンマン」的なクラブの「オーナー」が、ある選手と「出場試合数」を保証する契約を結ぶことがあります。その選手に「強力なスポンサー」がついているような場合です。
そのチームの監督は、「あたえられた条件」をふまえてチームの戦術を策定しなければなりませんが、「それ」も「監督の仕事」に含まれているわけです。
ヨーロッパでキャリアを積んできたハリルホジッチ氏は、当然、そうしたサッカーの監督の「リアリティ」というものを身に染みて理解しているはずです。
もしかすると、日本サッカー協会は、ハリルホジッチ氏に「自由に選手を選んでよい」と伝えていたのかもしれません。
だとすれば、「問題」の所在は、「そこ」にあるような気がします。
日本サッカー協会にしてみれば、それは「建前」です。
最後はこちらの意向を汲んでくださいね、いや、汲んでくれますよね、という思いを抱いていたのでしょう。
何というのか、「そういうこと」を表現する便利な日本語があったような気がするのですが、まあ、ちょっとわすれてしまいました。
ともかく、日本サッカー協会は、表面上は、ハリルホジッチ氏を信用して「一任する」という態度を示しておきながら、胸中に「自分たちの要請」をしまいこみ、なぜか、「きっと思いが通じる」という根拠のない期待をしていたのではないのかな、と思います。
ハリルホジッチ氏にしてみれば、「契約」に書かれていないことを考慮する義務はありません。
信用しているので好きなように選手を選んでくれ、と言われれば、わかった、ということで自分の信念にもとづいて、「選手選考」を行うでしょう。
ハリルホジッチ氏は、「真実」を知りたい、と繰り返し述べていました。
自分は信用されていると自負していたのに突如解任され、それをまったく理解できない状況だったわけです。だから、最初、ハリルホジッチ氏は自身の解任について「陰謀」に巻き込まれたのだと感じたのでしょう。
やはり、「コミュニケーション不足」というキーワードが浮かびあがります。
中心選手をワールドカップのメンバーから外す、というのは、少々大げさにいえば、「スキャンダル」に限りなく近い行為なのだと思います。
思い起こされるのは、1998年、日本が初出場したフランス・ワールドカップです。
当時日本代表チームの監督だった岡田武史氏は、ワールドカップ直前ギリギリ、フランスでのキャンプ中に、最終メンバーを選びました。
おそらく、岡田氏はもっと前からチーム構想を固めていたはずですが、できるかぎり「雑音」を遮断しようとしたのだろうと思います。
岡田氏は、「自由に選手を選んでもよい」という「言葉の裏側」をよく理解していたのだと思います。
日本の「組織人」である岡田氏は、「それは簡単なことではない」と熟知していたので、本当に自由に選手を選ぶために、「正攻法」をとらなかったのだろうと思います。
2002年に日本代表の指揮を執ったフィリップ・トルシエ氏も、日本サッカー史上もっとも優れたテクニックを持つ選手のひとりをメンバーから外す決断をしました。
トルシエ氏は、非常に「エキセントリック」な指導者として知られました。
トルシエ氏の任期中に、一部の「協会関係者」から「解任の声」が上がりましたが、サッカーファンは、「解任反対」の運動を展開し、トルシエ氏の続投を望みました。そして、当時の日本サッカー協会の会長だった岡野俊一氏の「一声」で、トルシエ氏の留任が決まりました。
ある意味で、「今回」とは反対の結果だったわけです。
協会のトップの「お墨付き」と、ファンからの熱烈な信頼を得たトルシエ氏は、完全に自由裁量の「選手選考」を行うことができました。
「逆の例」としては、2006年に指揮を執ったジーコ氏、2014年に指揮を執ったザッケローニ氏が挙げられます。両氏は、協会との良好な関係を保ちました。
振り返ってみれば、日本が初めてワールドカップに出場して、20年の月日が経ちました。
この20年の間に、「グローバリズム」が大きく進展しました。
多くの人が見落としていることですが、「サッカー」は、もっとも強く「グローバリズム」の影響を受けている「ビジネス」のひとつです。
日本は、1993年までサッカーのプロリーグを持ちませんでした。
そのためか、日本のサッカー界には、非常に頑強な「アマチュアリズム」が根付きました。
信じがたい話かもしれませんが、日本サッカー協会は、かつてはワールドカップよりもオリンピックのほうを重視していたくらいです。
「Jリーグ」が発足して四半世紀、ワールドカップに出場して20年。「日本のサッカー」は、大きく発展しました。
しかし、「世界のサッカー」は、それ以上の速度で展開しています。他に類をみないほどの急激な変化が起こっているわけです。サッカーは、今や「巨大な資本」が動く、大掛かりな地球規模の「ビジネス」です。
これは個人的な所感ですが、日本人は、サッカーというスポーツの「ビジネス」としての側面を、うまく制御できていないような気がします。
さらに踏み込んでコメントを加えるならば、多くの人は自分はグローバル化にコミットしていると思い込んでいるけれども、肝心なところでは、ローカルなメンタリティとローカルなコミュニケーション様式に埋没してしまうのだと思います。
ハリルホジッチ氏の解任の理由が「選手選考」にあったのだとしたら、「処方箋」はわりとすぐに見つかりそうです。
「こちらの意向」を汲んでくれることを期待し、期待が裏切られたら、「困った性格」などといって、「相手のせい」にするのは、もうやめなければなりません。
「処方箋」のひとつは、「こうして欲しい」と直接相手に伝えることです。
それが、「コミュニケーション」の本質なのだろうと思います。
どうしても折り合わなければ、解任ということになりますが、お互いの立場を説明し、意見を出し尽くした末の「結果」であれば、「相手」も納得することができるでしょう。
もうひとつの「処方箋」は、協会の権限を具体的に「契約」に盛り込むことです。
これは「例」のひとつですが、「必ず2人は協会の指定した選手をメンバーに選ぶ」というような内容に同意したうえで、監督を引き受けてもらうわけです。
こうした「契約」をばかばかしく感じてしまう人もいると思いますが、このほうが、「グローバル・スタンダード」です。
さて、ここまで述べてきたとおり、私は、日本サッカー協会が日本代表の「選手選考」に介入することに、必ずしも否定的ではありません。
そして、ハリルホジッチ氏の解任が「正解」なのか「不正解」なのか、結局「正しい判断」をすることができる人はいないのだろうと思っています。
しかしながら、「今回のこと」については、ハリルホジッチ氏を気の毒に思います。
評論家やジャーナリスト、コメンテーターの意見をざっくりと見ましたが、監督を経験したことがあるかないかによって、意見に偏りがあるように感じました。
つまり、監督経験のある人は、解任に反対する人が多いわけです。
一方、そうでない人は、解任に賛成する人が多いわけです。
時間が経つにつれて、解任に賛成するという意見を述べる人が増えていきました。
これは、「想像力」の問題でもありますが、別の「力学」も作用しています。
日本サッカー協会の「立場」を推し量って、批判的なコメントを差し控えているわけです。
何というのか、「そういうこと」を表現する便利な日本語があったような気がするのですが、まあ、ちょっとわすれてしまいましたが、ともかく、日本サッカー協会に「不利」なことは言わないわけです。
いろんな情報番組で、ハリルホジッチ氏や通訳の方を小ばかにするような、軽薄な言動が聞かれたようです。
なかでも、20年前に、直前にメンバーから外され、ワールドカップに行くことができなかった「元選手」の辛辣なコメントには、せつない感情が沸き起こりました。
多くの人が「想像力」というものを勘違いしていると思うのですが、「想像力」というのは、見たこともない別世界を思い描くこと、ではありません。
自分の体験に照らし合わせて、「他のシチュエーション」を理解することです。
多様な体験を積み重ねてきた人ほど、豊かな「想像力」を持っているわけです。
彼は、ハリルホジッチ氏の胸中を、より深く理解できる人であるはずなのに。
これは、論理的な思考ではなく、多分に情緒的なものですが、私は、ハリルホジッチ氏の「無念」に思いをはせます。
きっと、同じように感じる塾の人間は、たくさんいると思います。
それから、私は、Jリーグがスタートした1993年の熱気を思い起こします。
あのとき、私たちは「100年後の日本のサッカー」を夢想したのです。
「目先の結果」も大事ですが、培ってきたものを大切にすることも意味のあることだと思います。
日本のサッカーが、「75年後」に、さらに前に向かって進んでいることを願います。
(ivy 松村)